余白の美しさ

ヴェルクマイスター・ハーモニー タル・ベーラ 2000年ハンガリー=ドイツ=フランス
ハンガリータル・ベーラ監督が放つ幻想とリアリズムが交錯する映像の世界。田舎町に突如現れた、巨大な“クジラ”を連れたサーカス団と扇動者・プリンス。彼らに魅了された人々によって巻き起こされる破壊とバイオレンスを描いたダークファンタジー
(「キネマ旬報社」データベースより)

説明するとすれば、違うような気がするものの、このような感じ↑くらいしか思いつかないかも。正直観る人によって感じ方がバラバラな映画だろう。「ハンガリーの片田舎」という舞台は何か政治的背景を、「クジラ」は何かの象徴を感じさせるようでもあり遠ざけるようでもあり「解説」はしづらい内容だが、それはあまり重要とは感じられない。
ただ僕が強く感じたのはふたつ。ひとつはモノクロの美しさ。あえてモノクロでとることは別に珍しくはないのだが・・・。ふたつ目は映画の「余白」かな。一応この映画では「長まわしショット」が特徴とされているように、ワンシーンが長い(2時間25分中わずか37カット)。だから例えばある会話(時にはそれすらないが)の前後には長い時間が流れる。そこに特に意味はない、とでもいった感じ(それはアンゲロプロスのそれと似ているようで全く違うようでもある)。なのでそういったシーンはある意味「退屈」でさらには「苦痛」であるのかもしれないが、逆にそういった余白のシーンがこちらの想像というか感覚を引き出すという点では非常に濃密なものとなっているようでもある。それがさらに先ほど述べたモノクロであることによってひきたてられているかのようだ。例えば最初の街に深夜サーカスのトラックがやってくる場面。文字通りそれだけのシーンだが、何かが入り込んでくる感覚は説明しにくいが濃密である。
まあ、今だったら意味とか背景を「理解」できるが、14くらいのころそれがわからないまま観ていて「意味はわからないが何かが入ってくる」感覚を思い出させるような映画だった。
だから結局何をもって「鬼才」なのかわかるような、わからないようなといった感じだが、少なくとも新作「倫敦から来た男」はスクリーンで見たいと思ったことは確か。