東へ西へ

大磯にて

夜中に薄い餅と卵を入れたラーメンを食べながらとりとめもないメモ・・・





「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」
                                                     鴨長明方丈記」より



今回の年越しは酒田で過ごすつもりが、帰京予定の元旦が大雪とのことで急遽大晦日に帰京、大磯の実家にゆく。夜、これといってみたいテレビもなく(本当はお笑いをみたがっていた母を巻き込み一緒に)小津安二郎の「麦秋」をみる。いつものように結婚に興味のない28の娘を演じる原節子。終盤、知り合いのおばさん杉村春子とのやりとりのなかで意外な決断をする。それに対しそれまであれほど娘に結婚して欲しいと気を揉んでいた家族が、今度は本当にいいのかと悩みだす。



そんなシーンのころにおそらく年は明けていたと思う。



いつものパターンの小津映画だが、そこにはほのぼの感だけでなく正体不明の緊張感も付きまとう。それは人の人生が決断の連続の積み重ねであることが突き付けられているからなのかもしれない。いつも似たような役者、ゆっくりしたテンポ(にみえる)からこそ、よけいそれは際立つ。日々の風景がゆっくりながれているようでその始めと終わりでは空気が全く違うのだ。
 



思えば年末・年始とは似たような感覚を呼び起こさせる時間だ。昔からどこかに、みんなで集まる。ただいつものメンバー(?)も、状況も少しづつ変化していてその「決断の積み重ねで現れたもの」は、1年では「あっという間」で見えにくくても10年前とくらべれば「あっと驚く」ような時間の経過を感じさせる。そのお互の「差異」をどこかで感じながら、未来を願うことができるのが幸せということのひとつなのだろうか。




・・・・・という訳で昨年お世話になった皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。