円山応挙〜空間の創造〜 三井記念美術館


http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
竹橋近美の上村松園展が入場券がすぐに買えないほどの混み様だったので日本橋のここへ。


〜内容はこんな感じ〜
円山応挙の名作・大作が三井記念美術館に集います。応挙は、絵画という平面の中に、奥行きのある立体的な世界を描きだしました。本展では、「空間の画家」応挙が青年期に遠近法を習得するきっかけとなった眼鏡絵から、画風大成期の屏風や襖など大画面作品まで、応挙の創造した豊かな空間を視覚体験していただけます。なかでも注目は、重要文化財「松に孔雀図襖」(大乗寺蔵)と国宝「雪松図屏風」(三井記念美術館蔵)という、応挙の松を描いた水墨画の二大最高傑作が同時に見られることです。両作品とも水墨画ながら色彩を感じさせる描写が特徴で、展示室ではこれらの松の競演が繰りひろげられます。[広報資料より]



個人的は風景画がとても印象的でした。今まで自分の近世の風景画で適当に思い浮かぶものといえば「洛中洛外図屏風」や「東海道五十三次」あたり。しかしこの円山応挙という人の風景画は何か根本から違っているようでした。それはいったいなんだろうと考えていたのですが、おそらく前者にでてくる風景は風景を俯瞰してイメージ化したのもであるのに対し、遠近法を用いた応挙のそれは徹底して現実的であるという点なのかと思いました。それは芸術家というより、まるで科学者のような雰囲気でもあります。



で、そのせいかどうかわかりませんが、面白かったのはなぜか地上レベルでの視点で風景を感じることができた点です。特に「空」があると感じたのがそれで、おそらく普通はそんなこと当たり前だから感じないのでしょうが、三十三間堂のも鴨川沿いの納涼のも、さらには一見明らかな俯瞰図の「淀川両岸図」においてもそれが印象的でした。









考えてみれば、現代において特に京都の風景や神社仏閣は今では「癒し」空間としての印象が強くあります。周りがビルとかイケてない都市景観に囲まれていればなおさらです。ですが当時、実際にはそこは「何かがある」非日常空間(『ハレ』と『ケ』の『ケ』という意味での)であり、その周りには日常である何もない風景が広がっている、そんな感覚が自然な気がしました。人が集まって何かが行われていること、神聖な場所であるといことは、当時にとっては今よりもずっと積極的な「参加」であり「癒し」だったのではないでしょうか。


ちなみにこの展示内に、復元茶室があった(織田有楽斎作)。やはり原寸大というのは面白いもので、「こんな感じで光が入ったのかな」とか「ここで話すときはこんな雰囲気なのか」と想像は尽きませんでいした。というか将来、家の一部にあったら最高です。






最後に美術館について。この三越裏手の三井7階ある三井記念館、きれいですが中高年向けの雰囲気が面白くないというかもったいないというか。東山魁夷とか横山大観なんかだと別にそうは思わないのでしょうが(偏見ですが・・・)、この円山応挙という人の派手さはなくとも刺激的な作品は違った空間での展示の方がいきる気がしました。