移動くうかん

階段。通称「ゆうやけだんだん」

今日は遅くなったのでいつもと違うルートで帰宅。新宿からの外回り山手線。
高田馬場あたり、車内より左手に広めの公園が見える。いくつかの電灯で照らされたその場所は満員の車内とは対照的に異様なほど広々と感じる。一瞬、車内の人たちがその公園で座って話をしていて、その横を誰も乗っていない電車が通る風景を想像する。


日暮里より家まで歩く。未だに徒歩何分なのかわからない。


人にはいろいろな居場所があり、それをつなぐために移動をする。そのいわばフィルターのような空間は、単に時間や距離を通過しているだけとは思えない何か大事なもののように感じることがある。ただしそう感じることのできる場所は限られていて、例えば国道のいつも変わらないコンビニの光を見ながらではだめな気がするのだ。