異国、夢の跡

鎌倉鶴岡八幡宮の宝物館にて。足利持氏血書願文を発見。

どうしても鎌倉幕府がフォーカスされがちなこの鎌倉という場において、この血書願書で室町時代鎌倉公方の存在を思い出した。一般に関東公方と呼ばれるそれはいわば当時の室町幕府出先機関で、この持氏は室町中期の関東公方であった。
簡単に言うと持氏は幕府に反抗し当時足利六代将軍であった足利義教によって滅ぼされる。そのあたりは私が歴史上もっとも好きな時代の一時期で、小学生のころ絵本を作成したほどである。ちなみに足利義教は当時弱体化しつつあった幕府を立て直そうとし「恐怖政治」を行うものの、途中家臣の赤松満祐に暗殺される(嘉吉の乱)。
この義教、「『籤』で選ばれた』独裁者」として簡単に紹介されているが(というか学校で教わる室町時代はなぜか三代義満の『北山文化』から八代義政の『東山文化』にすっ飛ばされてしまう。たまたま小五の頃集英社の『まんが人物日本の歴史』で義教にふれていて興味を持ったのがきっかけだが)、途中暗殺されなければ彼は織田信長以上の革命者となったに違いない。
で、持氏はその過程で「静粛」されたわけだが今回興味深かったのはこの持氏の「血書願文」だ。これは幕府・義教との対立が決定的になる前、である。つまり、表向きはいわゆる祈願だが持氏にははじめから覚悟があったということだ。
勿論そうなるような政治的状況はあっただろうが、さらにこの鎌倉という地も影響していたのかもしれないとも思う。鎌倉というこの場所でしかないという感覚。それは後の江戸・上方という対比とは異なる異国感があったに違いない。
それには平安期の平将門の乱にも共通する何か夢の跡のようなものを感じてしまうのである。